こんにちは、カズッシー(@kazussy10)です。
僕は今フリーランスのブロガーとして活動しています。
それまでは普通にサラリーマンの会社員として働いていました。
ここにくるまで紆余曲折色々ありました。
今は会社員として働いているけれど、これから独立して働きたいと思われている方もいると思います。
そこで今回は、自己紹介がてらですね、僕自身がサラリーマンからフリーランスとして独立した経緯を話しておきたいと思います。
他メディアで自己紹介記事を書いたことがあるんですが、自分のブログでは書いていなかったので、改めて書いていきます。
少し長くなりますが、良かったら読んでくれると嬉しいです^^
※動画でも話しています
ある日突然腰に痛みを感じて動けなくなった
フリーランスになる前は、ネットワークエンジニアとして会社員として働いていました。
最初は福祉系の職場でソーシャルワーカーとして働いていたんですけども、人間関係だったり仕事があわなくて辞めてしまいました。
次に何かやろうと思ったときに、昔から海外で働きたいと思ってたんですよね。
IT系の仕事であれば海外でも働けるっていうのと、僕が入った会社は海外にも支社があって海外でも働けるという可能性があったので、その会社でネットワークエンジニアとして働くことにしました。
しばらくしてから、念願叶って4ヶ月半だけですが、シンガポールにある現地企業で働かせてもらえることになりました。
これは以前動画でも少し話しましたが、この4ヶ月半はものすごく濃密で良い経験をさせてもらったと思ってます。
日本に帰ってきてすぐに今の妻と出逢って、一ヶ月くらいで付き合いだしその一ヶ月後にはプロポーズして、一緒に住むことにしました。
かなり早い方だと思います。一言でいうとこの人だ!ってビビビときたんですよね。
ただ仕事に関しては、もともとネットワークエンジニアはやりたい仕事じゃなかったんですよね。
なので結構ストレスも溜まってました。
今後どうしていこうかなと悶々と思っていたある日ですね、仕事が終わって家に帰ってる途中に、ピキっ!と腰に激痛が走ったんです。
これが結構痛くて、普通には歩けなくなるレベルの痛みでした。
なんとか壁とか手すりに寄り掛かりながら家に着いたわけです。
ただその時はしばらくすれば治るだろうと思って、妻にも「なんか歩かれへんようになったわ〜」みたいな軽いノリで言ってました。
その時は翌日から3連休で、明日から香港に新婚旅行に行く予定だったんです。
この時はまだ香港に行ったことなくて、絶対行くと決めてたので、早めに眠ることにしました。
ただ、翌日になっても痛みは引かなかったんです。
何もしなければ痛くないんですが、動こうとするとものすごく痛いんですよ。
ベッドから起き上がれないくらいに。
これは流石にヤバいということで、僕だけ香港に行くのは諦めて、救急車を呼んでもらって病院に行きました。
病院で診てもらうも原因不明と言われる日々が続いた
まずは市民病院に行って、レントゲンやCTを撮ることにしました。
ただその時は異常はなかったんですよね。
その後大学病院に行って検査してもらったんですけど、それでも原因が分からない日々がしばらく続きました。
ただその間も、最初は腰だけだったんですけど、身体中に痛みが広がってきたんですよ。
ベッドからも自力で起き上がれなくなって、会社も休職させてもらってました。
病院に行く以外はほとんどベッドの上で過ごしてましたね。
病院に行く時も家までタクシーを呼んで連れてってもらい、病院についたら車椅子を押してもらって通院してました。
この時はほんと不安でしたね。
病名がわかれば対処できるんですけど、原因不明だと恐怖しかないんですよね。
ようやく病名が判明
3週間くらい経ってようやく病名がわかりました。
「強直性脊椎炎」という病気です。
強直性脊椎炎は自己免疫疾患(リウマチ性疾患)の一種です。
自分の免疫が何らかの原因により正常に機能しなくなって、自分の細胞を攻撃してしまう病気のことです。
発症原因は不明で難病に指定されています。
日本での発症率はですね、人口の0.02~0.03%と言われています。
実際の数はわかっていないそうです。
それくらい珍しい病気です。
10~30歳代の男性の発症例が多いらしいです。
対処方法としては、ステロイド剤を飲むか、もしくはロキソニンなどの鎮痛剤を飲んで痛みを抑えるかの2種類。
僕は体質的にステロイド剤を飲めなかったので、鎮痛剤を飲む一択しかなかったんです。
入院も薦められたが、お金もかかるし家にいる方が落ち着くので家にいることにしました。
絶望の日々が続き諦めかけた
そこから2ヶ月間、ほとんど家から出ることはできませんでした。
鎮痛剤のロキソニンも効果がきれると動けなくなるので、1日4錠飲んでました。
それでさえベッドとトイレの往復しかできませんでした。
ベッドから起き上がるだけで身体中に激痛が走る。
体力も日に日に落ちていき、薬の副作用で体もボロボロにでした。
仕事も休職しほとんど寝たきり。
結婚したばかりなのに自分自身は妻に何もしてあげられない。
それどころかしてもらってばかりで職場にも迷惑をかけてしまっている状態。
もう自分はこのまま寝たきりなのかと思うと、自然と涙が出てきました。
この時の僕は暗闇の中にずっといました。
少しずつ体が動くようになってきた
そこから2ヶ月くらい経ってからですね、なんと痛みが少しずつ引いてきたんです!
薬を飲む量も最初は4錠だったんですが、そこから3錠、2錠、1錠と徐々に減ってきて、近所のコンビニや公園であれば行くことができるようになってきました。
この時はほんとね、たかだか100メートル先のコンビニに行けるのも感動したのを覚えてます。
実は9月に病気なって、12月に結婚式を挙げる予定だったんです。
やるか迷ったんですけど、杖をつきながらですね、なんとか無事結婚式を挙げることができたんです。
本当よかったです。
内容も最初考えていた予定から大幅に変更して、僕がなるべく動かないでいられるようなものにしてもらいました。
3次回まで顔出し程度で参加したんですが、来てくれた友達には感謝でしたね。
今後の仕事をどうするか考える日々が続く
無事結婚式も挙げられて、年が開けて少しずつ体が動くようになってきた時に、今後どうやって生きていくかも考えるようになりました。
すごい理解ある会社で、半年間も休職させてもらってました。
体が動くようになったら戻ってきても良いと言ってくれたりもしました。
本当ありがたいです。
ただ、僕の強直性脊椎炎という病気は、難病なので今の医学では治せません。
実は今もまだ治ってません。たまに何かの拍子に痛みを感じることがあります。
なのですごく嬉しかったんですけど、戻った時に再発してまた急に動けなくなってしまったら会社に申し訳ない。
また再発して動けなくなったんで2,3ヶ月休みくださいなんて言えないですよ。
だったら、雇われながら仕事を続けるよりは、自分自身の力で生きていこうと思い、フリーランスになることに決めました。
ただこの時自分にはなんのスキルもありませんでした。
どうしようと思っていろいろ調べている時にですね、ブログやアフィリエイトでなら、個人でも生計が立てられると思ったわけです。
ただ今まで文章なんか書いたことないです。
mixiに日記を書くくらいしかやってなかったですからね。
それでも僕にはこの道しかないと思って、半年くらい籠もって、ほとんど誰とも合わずに朝から晩まで作業をし続けました。
半年間やり続けたくらいから、少しずつ収益が上がるようになってきました。
その後に妻と世界一周に行ったり、旅ができるまで回復しました。
そこから今に至るわけです。
難病になって伝えたいただ一つのこと
最後までこの文章を読んでくれて本当にありがとうございます!
最後に、この文章を読んでくれたあなたに伝えたいことがあります。
それは、「後悔しない人生を生きて欲しい」ということです。
本当に人生はどうなるかわかりません。
もしかしたら明日事故にあるかもしれない。
今日この後隕石が落ちてくるかもしれない。
僕みたいにある日突然難病になって、動けなくなるかもしれない。
もしそうなってしまった時に、この動画見てくれているあなたには後悔して欲しくないと思ってます。
僕はこのことがあってから、より強く思うようになりました。
もちろん、大変なこともたくさんあります。
今フリーランスとして働いてますが、正直にいうと結構ギリギリです。
毎日必死です。YouTubeも、何か良い企画はないかなとか常に考えてます。
不安なことは挙げたらキリがないですが、今の道を選んだことに後悔はしてないです。
不器用なりに、やれることを精一杯やっていこうと思っています。
もし、今何かやりたいことがあるのであれば、ぜひやってみて欲しいなと思ってます。
もしそれが失敗しても、俺はなんてダメなんだと思うんじゃなくて、挑戦した自分を褒めてあげて欲しいです。
これは自分にも言い聞かせてます。
なんて言いつつね、細々した後悔なんていっぱいありますよ。
あの時あれやってればよかったなとか、あれ言うんじゃなかったなとか、強面の人のお店に行った時は「領収書ください」って言えなかったなとか、キリがないくらいあります。
この記事がですね、何か新しいことを始めるきっかけにでもなってくれればいいなと思い、改めて記事にすることにしました。
少しでも、この文章がもやもやして悩んでいる誰かのためになってくれれば嬉しいです。
一人じゃないです。一緒にやっていきましょう!
それでは、最後まで本当にありがとうございました。